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第三夜不知道為什麼好翻很多...= =  單字也變比較少  不過電影裡的那種噁心的畫面又出現了

話說漱石的夢還真是詭異  而且又看完電影之後再來看原文  還是很噁心...

這篇也是不太舒服...(其實沒有任何一篇是舒服的 第一夜是唯一比較浪漫的...)

哎 我真是沒事找事做  無聊到夢十夜一直翻  什麼不挑還挑漱石的巨作  囧"



第三夜

こんな夢を見た。 夢見了這樣的夢。



六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。

背著六歲的孩子。的確是自己的孩子。但是不可思議的是,不知道什麼時候開始他的眼睛瞎掉了,變的像青色的和尚一般(我很貼心的找了圖片還縮了網址 哈!! http://0rz.tw/e63K0)。我問他眼睛是什麼時候瞎掉的,他回答說很久以前就這樣了。聲音和一般小孩沒什麼兩樣,但是用詞和大人一樣。而且是和我對等的立場。 



左右は青田である。路は細い。鷺の影が時
闇に差す。

左右都是田地。田埂的路很細。鷺鷥的身影不時在黑暗中穿過。



「田圃へかかったね」と背中で云った。

「在水田上吧」背上的孩子這麼說。 



「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。

「你怎麼知道?」我把臉向後轉問他。「因為鷺鷥有在叫啊!」他這麼回答。



すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

 結果鷺鷥真的叫了兩聲。



自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。どこか打遣ゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に、背中で、「ふふん」と云う声がした。「何を笑うんだ」子供は返事をしなかった。ただ「御父さん、重いかい」と聞いた。
重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と云った。

我覺得我的小孩有點可怕。揹著這種東西,再來會發生什麼我都不知道。不知道有沒有地方可以拋棄掉,向後看見黑暗中的一大片森林。正想著那裏好想不錯,背後又傳來「呵呵」的聲音。「笑什麼?」我問,但是小孩沒有回答。只是說,「父親大人,我很重嗎?」聽到我回答不會很重後他又說,「接下來會變重喔!」



自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則にうねってなかなか思うように出られない。しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。
 

我默默的往森林那個目標走著。不規則田埂的路彎彎曲曲的,好像走不太出去。過了一會兒分叉成兩條路。我站在分叉的地方,停下來休息一下。



「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。
 

「應該會有石頭立在那裡吧!」小鬼說著。 



 
なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ケ窪、右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字は井守の腹のような色であった。

果然有大約及腰的八角石立在那裡。上面寫著,左邊是日漥,右邊是堀田原。雖然天色很暗,但紅字仍清楚可見。紅色的字就像蠑螈的腹部一樣的顏色。 



「左が好いだろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ抛げかけていた。自分はちょっと躊躇した。

「走左邊的好了。」小傢伙命令我。看了看左邊,剛剛森林黑暗的影子,從高空往我們頭頂上越過。我遲疑了一下。 



「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。腹の中では、よく盲目のくせに何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。
 

「不用擔心」小傢伙又說了。我沒辦法只好往森林的方向走。心中想著,明明就看不見,為什麼還知道要怎麼走,一邊想著一邊一個勁的往森林靠近。背後又傳來,「看不見還真是不自由啊」



「だから負ってやるからいいじゃないか」

「所以我不就背著你嗎?」



「負ぶって貰ってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」

「給你背著真是不好意思,不過可不能把人當笨蛋啊。連父母都認為我是笨蛋可不行。」



 
何だか厭になった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。

不知為何感到很不耐煩。急著想要趕快到森林然後把它丟掉。



「もう少し行くと解る。
――ちょうどこんな晩だったな」と背中で独言のように云っている。

「再往前走一點就知道了。--就跟這樣的夜晚一樣啊。」他在我背後獨自的說著。



「何が」と際どい声を出して聞いた。

「你說什麼」我發出危險萬分的聲音問他。



「何がって、知ってるじゃないか」と子供は嘲けるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然とは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。

「還問什麼,你明明就知道啊」孩子嘲笑般的回答我。結果不知為何好像有已經了解的感覺。但是仍無法明確了解。只是覺得真的有過這樣的夜晚。感覺即使如此再往前走就知道了。如果知道了會很難接受,所以想趁著還沒了解時就把它丟掉,這樣子也不會感到不心安。我更加快了腳步。



雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。

天空從剛剛開始就在下雨。道路也漸漸暗了下來。簡直就像在夢中。只是背後被這個小小的小傢伙緊緊黏住,這小傢伙將我的過去、現在、未來都照出來,像是不會洩露任何事實的鏡子一般的發光著。而且這還是自己的孩子。然後是瞎子。我已經忍受不了了。



「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」

「這裡,這裡。就是這棵杉樹的根部。」



 
雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入っていた。一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。

在雨中突然清楚的聽見小傢伙的聲音。我不自覺的停了下來。不知道什麼時候已經進入森林裡了。不遠處有個黑色的東西,看到了確實就是小傢伙說的那棵杉樹。 



「御父さん、その杉の根の処だったね」

「父親大人,就是那棵杉樹的根部吧」



「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

「恩,是啊」連想都沒想的就回答了。



「文化五年辰年だろう」なるほど文化五年辰年らしく思われた。
 

「是在文化五年辰年吧」確實就在文化五年辰年的樣子。



「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」

「你殺了我至今剛好一百年了吧」



自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

我一聽到這樣的說法,腦海中突然想起,一百年前的文化五年的辰年,在這樣的夜晚、這樣的杉樹根部,我殺了一個瞎眼的人。一體悟到我曾經殺了人,背後的小孩突然就重得像石刻的地藏菩薩一樣了。


 


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